私の夢(1)
今日たまたまたどり着いたブログ、
https://life-inbloom.me/2021/07/30/dreamlists100/
に、「夢100個書く」ってあったので、それはきっと難しくて新しいことで楽しそうだと思い、軽ーくやってみた。
思いつくままにって書いてあったので、どんなことでも採用して羅列したけど、30個くらいで止まった。
でもそこまででも、書いていてわかったことがある。
けっこう今すぐ叶えられること多いです。ただの「やりたいことリスト」みたいです。
土日にちょっと予定調整すればできそうなこともあって、なんでこんなことが「夢」になってしまっているのか考えてみる。
いつも仕事に思考をもっていかれているから、「心に余裕がない」、「時間がない」、「お金がない」、「こんなことしていてはいけない」、「あれをやっておかなきゃ」ってことばっかり頭に浮かんでしまって『やりたいこと』に目が向かないのではないかと思います。
それに気づけたことも「夢100個書く」の効用でした。
そして何でこれが私の「夢」なんだ?って思うものも多数なので、ここにいくつか理由を整理してみたいと思います。
- 人が少ない環境で暮らしたい→なんと2個目に書いたものがこれ。どんだけ人嫌いなんだ。特に人混みと渋滞が大の苦手な私、旅行先や外食先を選ぶ時もだいたい混んでいないか、渋滞しないかが基準。
- 無添加の食品がすぐに手に入る環境で暮らす→3個目に書きました。結婚した7年前くらいからどんどん夫婦で添加物を減らす生活を目指しています。出張先でお土産を探すときにも基準は「無添加かどうか」が第一条件。いまの住居からは近くに自然派食品にこだわるスーパーがあって助かっています。田舎移住願望の強い私には大事な条件。
- 価値観の合わない人と話さなくてもいい環境で暮らす→今の仕事では不可能。というか隠居生活でもしないとムリ。でも夢だから。人に興味ないので相手の想いに寄り添えない。できることなら聞きたくない。
- 家の隅々まで掃除したい→妻が聞いたら激怒するだろう。私は現状、月に1回くらい風呂掃除をする程度で残りの掃除は一切していない。でも、私はやるならとことん隅々までやりたいタイプなのだ。トイレも洗面台もベランダも窓ガラスもピッカピカにしてみたい。
- 花を生けたい→生け花って高尚な趣味な気がする。生花って高いのにキレイな時間は短いし、その人の内面深くを露わにしてしまう気がするから。やろうと思えば今日でもできるだろ。。。
- 小説書いて出版してみたい→伊坂幸太郎先生の小説読んでると、こんなこと考えられるってどんな思考回路なんだろーって興奮する。実際に自分で書いてみたらきっとちょっぴりその感覚の端っこに触れられる気がする。
- お寺で修行してみたい→・・・・・
こんな感じです。やっぱりなんか楽しかったし、40代以降の自分の人生の進め方についてちょっとだけモヤが晴れた気がした。
私の好きなもの、手に入れたいもの。
どーも、サラリーマン社長です。
今回は私がずっと読み続けていて、今の自分の考え方に大きな影響を与えてくれているChikirinの日記のあるエントリーについて私が考えたことを記録したいと思います。
私が”ちきりんの日記”と出会ったのは15年くらい前でした。24歳にしてやっと「4年くらいひたすら麻雀やらパチスロやらバカラやらやってきたけど、どうやら自分にはギャンブルの才能はないらしい。麻雀は生業じゃなく趣味程度でやった方が断然おもしろい」と気づいたころです。その頃には大学も辞めてしまっていましたが、とりあえず父親のコネで都内のメーカーに就職してサラリーマン生活を始めます。
そんなころ、地元の高校の後輩で自分が一目置く男(向こうにしてみればこんなダメ野郎に一目置かれてもと思っていたでしょうが)と飲んでいた際に、その男(当時まだ大学1・2年!)から「最近このブログが周りで流行ってるんですよ」と教えてもらったのが”ちきりんの日記”でした。
正直なところ当時はちきりんさんの思考になかなかついていけず、「そんなかんがえかたもあるんだ~、なるほどね~」と思う程度でした。そこからは数年に一度、思い出したときにチョコチョコっと読んだりしている感じでした。
それから社会人として経験値を上げて、ひょんなことから責任あるポジションに就き、いろいろな変化の中で少しづつ自分の「だらしない・目先の快楽に抗えない・わがままですぐ感情を発露するetc.」といった性格がおさまってきたのがここ4・5年。30代後半になってから”ちきりんの日記”を読み返したところ、昔と同じ記事を読んでいるのに受けるインパクト・感情の波・それを受けて考える内容が全然違っていました。自分の成長を感じることができる、一番の瞬間がこのブログを読んでいる時といっても過言ではないです。
最近では毎日少しづつ過去のブログを読み返して、今日現在だからわかる”ちきりん”さんの時代を見通す先見性や筆者の考えの普遍性を楽しんでいます。
ブログの中で繰り返しテーマになっていることで、私が共感し課題にしていることが3つあります。
それは
- 変化を恐れない
- 働き方は変えられる
- 自分の頭で考えよう
ということです。モットー:「変化を恐れない」 という考え方も”ちきりん”さんの影響が大きかったです。そして「働き方は変えられる(変えていい)」という考えにも影響を受け、自分は常に次のライフスタイルを考えながら仕事も勉強もしています。
そして何より「自分のアタマで考えよう」、これに関しては”ちきりん”さんの本のタイトルになっている通り、筆者の根底に常に流れているテーマです。私は気を抜くとすぐに『思考停止』に陥り、それまでの学校教育や世間の常識、周りの雰囲気などに流されてしまいます。しかし”ちきりん”さんは日常の興味をもった事象に対し、いつも「自分のアタマで考えて」意見を述べてくれます。”ちきりん”さんはいつも『その意見が正しいかどうか』よりも、『自分のアタマで考えて出した意見か』を最重要視しているのです。その姿勢が、今の私にとって輝いていて憧れるのです。
まだまだ私は「自分のアタマで考える」ことが癖になっていませんが、このスキルを身につけることが私の人生の第一優先の課題だと思っています。この思考ベースを持つことができれば、あらゆる時代のあらゆる事象に対して「自分は○○○だと思う」と意見を持つことができます。それがないと、自分の働き方・自分の人生観/ライフスタイルを自分の意思で決定することができなくなり、世の中に流されて人生が進んでしまうことになります。
これまでさんざん世間の常識や周りの雰囲気に流されて生きてきましたが、今の私にとってこれ以上他人に流されてライフスタイルを決定されることは絶対にイヤです。「自分のアタマで考えて」失敗する(失敗の定義は難しいですが)人生の方が、他人に流されて成功する(?)人生より百倍いいと本気で思っています。”ちきりん”さんは間違いなく、今の私の価値観を形成する重要なファクターになっています。
今回本当はそんな”ちきりん”さんのブログの興味深かったエントリーについて、それを読んで『自分のアタマで考えた』ことを書こうと思っていたのですが、前段が長くなってしまったので次回のエントリーにしようと思います。。。
やっぱり時間の管理は超大事。
どーも、サラリーマン社長です。
もうすぐ40代になろうとしている今日この頃、よく感じているのが「時間が経つのがどんどん早く感じられるようになってるなぁ」ということ。これまでの人生で様々な場面で聞いたり話題に上ってきたテーマであり、理由は『人間は未経験のものに直面していると時間の流れがゆっくり感じるから若い時の方がゆっくりなんだ』とか『時間の流れは代謝と関係しているからだ』とか聞いています。
まぁ理由はなんであれ、多くの人が感じているこの(残念な?)感覚は事実なんだろうと思います。もちろん実際の時間は赤ちゃんも若者も高齢者も平等に1日24時間・1440分なので、体感時間に差が出ているだけです。私は39年もの間、「時間」を意識せずまるで時間はいくらでもあるかのように過ごしてしまいました。学生時代や青春時代、働き盛り(?)の時代に、『貴重な・唯一人間にとって平等に与えられた時間という資源』のかなりの量を無駄にしてしまった気がしています。
私がこのような感情に気づくことができた(気づかないほうがよかった?)のは、昨年から集中して『時間管理』について学んだからです。
私はここ10カ月、7344時間・440,640分、1分も欠かさず全ての行動を携帯アプリを使って記録しています。その記録によって本当に様々なことが見えてきます。それまで何の気なしに行っていた日々のルーティーンの行動が、1日の・積み重なって人生の、どれだけのウェイトを占めているのか。自分は何の業務にどれくらい従事していて、自分の価値(時間単価)はどれだけの時間から捻出できているのか。自分の未来への投資(勉強)時間はどのくらいとれているのか。。。
これらから派生して、自分の時間の使い方を理想の形に変えていくためにはどうしたらいいかを考えるようになります。時間のログを取り、検証し、改善していくというプロセスは、細かい抜け落ちが気になってしまう(大物にはなれなさそうな)私の性格にも合っているようで、とても前向きに取り組むことができています。
この「時間管理」との出会いは、私のこれからの人生を大きく変えることになると感じています。時間管理で知った数々の気づきについて、これから少しづつでもこのブログに記録していきたいと思います。
●「死んでる時間」・・・今回の時間管理で最初にレクチャーを受けた内容が、自分の生活の中で『生産性のない時間』を「死んでる時間」と定義してその量・内容を記録することでした。この「死んでる時間」の中身は各個人によって違います。
私が「死んでる時間」と定義しているのは『身支度の時間(着替えや歯磨き、朝の身だしなみなど)』、『風呂』、『移動時間』、『個人でのPV時間(TVやネット、1人での食事など』、そして仕事においても『本来は自分でやるべきではないと感じている業務や雑談の時間』をカウントしています。
基本的には自分の「減らしたい」時間になるのですが、これは睡眠時間同様に「一定量は必要な」時間であることを知ります。残りの時間の過ごし方の負荷や定義の違いによる個人差は大きいですが、人それぞれに必要な「死んでる時間」があります。今の私の場合は、おおよそ毎月180~190時間強に必ず落ち着きます。
本当に面白いことですが、例えばむりやりにTVを我慢したり移動中も読書をするなど『一時的に』死んでる時間を減らしても、必ずその反動でどこかのタイミングに無意識時間が増えてしまいます。時間とは『等価交換』が原則なのです。
そのため新しいことを始めたいと思ったときには、それに費やす時間を『同等の価値の時間』と交換して捻出する必要があるのです。「ダラダラとネットサーフィンする時間を減らして、今まで逃げてきた資格の勉強をする」なんてことは大体うまくいきません。
「死んでる時間」を減らすには、地道なトレーニングが必要です。少しづつ少しづつ自分にとってラクな時間を生産性のある時間に塗り替えていくイメージです。
時間管理は本当に面白く、自分の人生が変わっていく実感を得られて超おススメです。このテーマについては、これからもいろいろな学びを記録していこうと思います。
「社長(リーダー)の仕事」について
どーも、サラリーマン社長です。
10年間のサラリーマン社長・リーダー経験を経て、今の私が考える「サラリーマン社長(会社組織のリーダー)の仕事とは何か」について記録しておこうと思います。
まず、創業者やオーナー社長の方の場合は全く異なる仕事になると思います。その違いについてはまたいつか別の機会に考えたいと思います。
実は私が今の会社に入社したきっかけは本当に偶然の積み重ねで、その偶然の一要素によって入社して半年で管理職、3年で(サラリーマン)社長に就任することになりました。
28歳の私は何の素養も覚悟もなく、しかも学歴も高卒。あったのは若さゆえの勢いと親への借金くらいでした。そのため当然、所長・社長といっても現場で作業する年長スタッフにもナメられ信頼も得られませんでした。
そのような状況では現場の雰囲気はあまりよくはならないですが、先人の方たちのおかげで経営状況は良かったことが幸いでした。そして声をかけてくれたオーナーへの恩義はありましたから、その後自分なりに色々な勉強をしていきました。
その中で、今の私にとってとても救いになっている考え方に『社長とは社長という役を演じているだけだ』というものがあります。現場のスタッフの方が年長、技能も上(私なんて全く現場では戦力外)、学歴もないのにちょっとした偶然の縁故でリーダーをやるには、「どうやったら自分も相手も私をリーダーと考えていけるのか」という悩みを持ち続けていました。
そんな中で学んだ経営哲学の中に上記の言葉がありました。人間は各々に役割を与えられ、その役割を担っていると思うことで、まず社長という職務が精神的に『すごく楽』になりました。
「社長」という役に『相応しい考え方・身なり・言葉遣い・所作』(=人格)が私に求められているだけであり、私が一番の技能を持っている必要も年長者のスタッフに尊敬される必要もないんだと考えるようになりました。
※ちなみに私が何度も読んで参考にしている身なりや所作の磨き方の本です。特に「なりたい自分に既になったかのように振る舞う」という考え方が好きです!CLASS ACT(クラス・アクト)世界のビジネスエリートが必ず身につける「見た目」の教養
私の考える「社長(リーダー)の仕事」とは、リーダーとして相応しい人格を持ち自分の管理する領域の『様々なことに決断する、その決断に責任をとる』ことに尽きると思います。常にスピード感をもって正しい決断を行うスキルを磨くために、様々な経験や勉強をすることが大事だと思っています。
しかしリーダーだって人間ですから、判断を誤ったり決断の結果がうまくいかないことは当然あります。そのような時に「すぐに判断ミスや不利な状況を認め、元に戻したり次に方向転換することを決定する」ことも同様かそれ以上に重要なスキルだと思います。人間は本能的にミスや劣勢を認めたくなかったりその時の状況を変化させることを嫌います。参考)モットー:「変化を恐れない」 - サラリーマン社長の自己研鑽ブログ そこを乗り越え、まさに「勇気ある撤退」の判断が必要となる時があるのです。
そして私が何度も経験してきたことなのですが、リーダーは当然いろいろな物事に責任を取らなければならないです。しかし、自分にしっかりとした報告や相談がなく知らなかった物事(自分で決断していない物事)に対して責任を問われることはやはりイヤなものでした。これについて「何で相談がないんだ!」と怒っていては自分の無能さを拡声しているだけです。これは今思えば私がリーダーとして未熟だったからで、スタッフの方たちとの人間関係さえ構築できていれば、防げていたかスタッフへの怒りなどという感情に訴える必要はなかったはずです。参考)「理想の会社」とはなにか。 - サラリーマン社長の自己研鑽ブログ
兎にも角にも、リーダーの仕事とは「決めること」だと思います。そのために素早く・正しい判断を下すための判断基準をもつこと、判断結果がうまくいかなかった場合に勇気をもって方向転換すること、そのときにメンバーがモチベーションを保ってついてきてくれる関係性の構築といった能力を養い備えることが、私が理想のリーダーになるために必要なことだと今感じています。
「理想の会社」とはなにか。
どーも。サラリーマン社長です。
また、社員が「退職を考えている」と話してきた。
私も現在の会社でサラリーマン社長として8年、管理職として11年強やってきましたから、これまでこのように言われたことは5回や10回ではありません。※40回くらいでしょうか。。。
正直「またきたか」って感じる部分はあります。慣れてしまっています。
でも、やっぱりこれは何度聞いても、その瞬間は胸をグッと鷲掴みされたようなイヤ~な気分でいっぱいになります。
だいたい彼らの「辞めたい理由」は下記のどれかです。
- 今の仕事(内容)が私の思っていたものと違った。
- 職場に嫌な奴がいる。
- もっと給料が稼げる仕事がみつかった。
- この仕事は私のやりたいことではない。
- 家族のもとに帰らなくては(外国人スタッフ)。※ほぼほぼウソ。
- 身体がついていけない、痛い・ツライ(入社してすぐ~数か月)。
当然、自分の会社をよくすることが一番の解決策だと思っています。そのことは後述するとして、この「辞めたい理由」に対しての私の考えを記録しておきます。
- 今の仕事(内容)が私の思っていたものと違った。→思っていた通りにできてしまう仕事なんてつまらないのでは?
- 職場に嫌な奴がいる。→そりゃそうでしょう、人間の悩みの99%は『人間関係』だってアドラーさんも言ってたし。私も入社前に「この会社はいい人ばかり」なんて言わないし、嫌な奴がいない会社を探して転職していたらキャリアを積む前に老人になってしまいますよ。
- もっと給料が稼げる仕事がみつかった。→これについては「仕方ないかな」と思う。「給料の額が自分の仕事を選ぶ基準」だという人を継続雇用するのは大変。そして1回ネゴを承認して昇給したら、必ず2回目・3回目がくる。
- この仕事は私のやりたいことではない。→「やりたいこと」を仕事にして生活できる人はごくごく少数のスーパーマンか努力の天才(努力できる才能がすごい)だけだから、こんなこと言う人にはまず無理だろうな。
- 家族のもとに帰らなくては(外国人スタッフ)。※ほぼほぼウソ。→嘘をついて辞めることが正義だと思っている国民性(東南アジアの1国)。実際は給料か人間関係への不満。
- 身体がついていけない、痛い・ツライ(入社してすぐ~数か月)。→最初からうまくできるなんて思っていないし、身体は慣らしていくしかない。「辞める」の前に「キツイ」と相談してくれればなぁ。
っていうのが正直なところです。あと、「残業が多い(少ない)」っていう理由もあるんですが、それは『働き方改革』などと連動する問題なので割愛。
そして、理由に関係なく共通する事象として「一度『辞めたい』と言ってきた方は、その時は引き止めることができたとしてもほぼほぼ辞めてしまうということはこれまでの経験で強く感じています。ごく稀に会社に残り続ける方もいますが、その場合は本人が変わった場合じゃないでしょうか。※たまーに、定期的に「辞めたい」と言っては残る変わったタイプもいます。この人は「引き留めてもらいたい病」です。
あと、今回の方は⒍が理由で辞めたいと言ってきていたけど、1~6までほぼ突き詰めていけば「人間関係が嫌になった」になっていると感じます。それはすなわち、仕事が多少つらくても、多少給料が安くても、自分の思っていた仕事内容でなくても、人間関係さえうまくいっていれば人はそんなに仕事を辞めないということだと思います。私の会社では設備や作業場所は元請会社のものを使うことができるので、資産は作業をこなしてくれる「人」です。長く働き続けてくれて、熟練してくれることが最大の設備投資なのです。
じゃあ、私は(会社は)どうすればよいかというと、
論理的には「人間関係が良好に築ける環境をつくる」ということになります。そのために会社ができることは何でしょう。
- コミュニケーションの活発な職場にする。→私の会社のオーナーは昔から口酸っぱく「とにかく風通しのいい職場を作れ、それがリーダーの役割だ」と言っています。が、具体的に何ができるかといえば毎日の声掛けやノミニケーションなどによる「なんでもすぐに相談してね」啓蒙活動くらいです。
- 福利厚生の充実。→プライベートの充実度は職場の雰囲気に大きく影響しますから、社員の方々の利用できる福利厚生に力を入れることも大事だと思います。これはオーナー始め経営陣で取り組んでいます。何かをやることは簡単ですが社員全員に対する平等性が担保できず、結局不平等なことへの不満があがってしまうこともしばしば。
- 働きやすい環境の提供。→作業環境が劣悪では気分も滅入っちゃう。暗い場所にいるだけで人間暗くなっちゃいます。
- 正しい評価ができる制度システムの構築→不平等な評価に人間はとても敏感です。不平等を感じると人は著しくモチベーションを下げてしまいます。みんなが納得できる、公正な評価を可能にするにはどうしたらよいか、試行錯誤しています。
この「入社→明るく働ける→習熟する→会社が儲かる→給料が上がる」の流れを作るために会社ができることは、明るく働ける環境の提供だけではないかと考えます。
とにかく、今日現在の私の思う理想の会社とは、『社員がみんな仲良くとは言わないけど、せめてお互いの意見がぶつけあえる、高いモチベーションの方々の集団』だと思います。
外食先のチョイス
どーも、サラリーマン社長です。
私は仕事柄、懇親会や接待もあり外食は多いほうです。毎週1・2回の夕食は外食になります。お客さんとならばそれなりに「いい(高い)お店」、会社のメンバーとであれば「地元のお値打ちなお店」になることが多いですね。
この場合のお店のチョイスは「お客さん」か「スタッフ」に主導権があります(私は『みんなの行きたいところで決めていいよ』と言ってしまうタイプ)。そのため、私が「自分の行きたいお店に外食に行く」にはそれとは別の機会を設ける必要があります。やはり妻・親族・気の置けない友人との晩餐を企画するしかないですね。
私の妻は専業主婦ですから、毎週半分以上の夜が外食では『私のご飯が食べたくないのね!』とへそを曲げます。そのため自分のチョイスによる外食(お酒も必須なので夕食限定)は最大でも週に1回です。
そんな貴重な外食ですから、お店のチョイスは超重要マターなわけです。万が一にも外すわけにはいかない。手前味噌な話ですが、私の家は薄味で健康志向も強くジャンクフードを食べる機会も少なかったので、けっこう「食」にはこだわり強めです。チェーン店に多い化学調味料・添加物強めの味は受け付けません!
月に最大でも4回程度のチャンスに、「私の嗜好・家では食べられないもの」で考慮して、まずはジャンル別に1軒ずつのお店を選定します。※順番は私の好きな順。
- 和食(魚料理中心)…家族経営の創作和食
- 和食(野菜中心)…渋いマスター・器もオシャレ
- 焼鳥…絶品焼き鳥に元気なマスター
- 焼肉…いつも混んでてタレが絶品
- イタリアン…家から近くておしゃれでおいしい
- 寿司…たまの贅沢に。店主夫婦が好感
- カレー屋…現地の方が作る本場の味、ボリュームも◎
- 韓国料理…上に同じ。
- ラーメン屋…たまに食べたくなる背徳のうまさ
こうして上記9軒の中から「前回訪問からのあき期間」と「その時の食べたいもの」を基準にローテーションしていくわけですが、ここ数年の傾向にコロナウィルスの影響もプラスして「お気に入りのお店(感じのいい店員さん)を応援したい・守りたい」という気持ちがどんどん強くなっています。その結果「味」「雰囲気」「店員さんの人柄」に加えて「どれだけ流行っているか」が重要ファクターの1つになりました。9軒からローテーションしていては、3か月に1度程度しか訪問できなくなってしまいます。万が一「行ってみたら潰れていた」なんてことではショックがでかすぎます。
そういうことで、最近では「流行っている店」には『自分たちが行かなくても経営大丈夫だよね』ということで行かなくなりました。※流行っているお店は大概店員さんのコミュニケーションもいまいちになりがちだし。。。
なので、「自分たちが行かないと経営大丈夫か?」というお店を最優先してローテーションし、1か月半に1回くらいは訪問できるように考えています。
やっぱり企業も飲食店も『最後は人柄・人間関係で決まるよなぁ』と勝手に納得していますが、とにかく『私は食べることが大好きです』ってことを書いておきたかっただけです。
モットー:「変化を恐れない」
今回の「住民投票により大阪都構想の反対多数」という結果を受けて、2つ思うことがあった。
まず、「相変わらず変化を恐れる人が多いのね」ということ。今のままの行政に満足してるのか?
今回の投票対象が『今の大阪の二重行政システムには満足していますか?』という内容なら迷わずNOが多数になったんじゃないのか。しかし、「実際に自分の住む街が新しいシステムに変わります」というと反対する。
日本人だからか、高齢化社会だからか、大阪人だったから(?)かわからないが、『現状を変えること』にはすごい抵抗する。国民性だとか歴史的背景だとか食べ物の違いだとか理由は知らないが、とにかくそういう人は多い。自分の両親もそうだ。
自分は両親からもここ数年「あんたはすぐに人や本に影響を受けるけど大丈夫かねぇ」なんて言われるが、確かに影響を受け(変わり)やすい人間だと思う。これは経営者になって心掛けている私のモットーだ。
会社も人間も、きっと国も、変わらなくてもずっと安泰なんてものなどない。変化は必要なものだといつも強く感じている。自分はもっと成長したいし、もっと会社も成長させたい。それができなければスタッフの皆さんの幸福は叶えられないと確信しているからだ。何かを変えて、問題があれば修正する。大体の場合、少なくとも変える前には戻せる。ここ数年私は会社のスタッフさんには「変わることを恐れるな、ダメだったら戻ればいいし、『これはダメだ』とわかったんだから『失敗』ではない」と言い続けている。
そして、もう1つが「投票率低いなぁ」ということ。これだけ未来を変える可能性を賭けた投票に、62.35%の人しか投票しないんだな。※ここでは「やむを得ない理由で投票に行きたくてもいけない人だっているんだ!」みたいな趣旨の異なる意見はどうでもいい。
「なんとなく賛成!」でも「絶対反対!」などではなく『保留』。この人たちはどっちでもいいのかな。というか今回はどっちでもいいなんてあり得るのか?自分が住んでいる地域の行政についてなのに。もはや自分の後の世代の人のことなんて関係ないと思ってるんじゃないかと思ってしまう。
これまで自分は選挙のたびに「投票率50%か、、今回投票に来ていない人の10%でも入れてもらえたら結果は変わるよなぁ。この無投票の人の1票を取りに行く策がポイントだよなぁ。」と思っていた。
しかし、今回の住民投票での投票率をみて考えが変わった。「この投票にも参加しないような『無意志・無関心』の人を自分に投票してもらえるように策を講じるより、現時点で自分と反対でもいいから『興味・関心を持っている』人を説得して意見を変える方が早いんじゃないだろうか」と。
小学生くらいのころ、なんかのドラマかマンガで「『好き』の反対は『嫌い』じゃない、『無関心』なんだ」って表現があって、すごい印象に残っている。きっとこれも同じことなんだろう。『無関心』の人をファンにすることは難しい、反対意見を持っている人にアプローチしたほうがいいのではないか。これはビジネスにおいても自分の今後の考え方を変えるきっかけになった気がする。
今度は自分の住む名古屋でも「名古屋都構想の住民投票」に挑戦する人でてこないかなぁ、今の市長と県知事の関係では絶対ないよなぁ。。。